ISA GENZKEN イザ・ゲンツケン
OIL XV / XVI

2 Oct – 27 Dec 2009


イザ・ゲンツケンは1948年、ドイツ、バード・オルデスローエに生まれました。ハンブルグとベルリンの大学で美術を学んだ後、ヨーゼフ・ボイス、ベルント&ヒラ・ベッヒャー、ベンジャミン・ブクロー、ゲルハルト・リヒターらが教鞭を執るドュッセルドルフ・クンスト・アカデミーで学びます。そして1976年、その当時、主にミニマリズムやポストミニマリズムのアーティストを扱っていたデュッセルドルフのコンラッド・フィッシャー・ギャラリーでデビューし、Ellipsoid(楕円)・Hyperbolo(双曲線)と名付けられた作品群で広く知られるようになります。両端に向かってカーブしながら細くなっていく「Ellipsoid(楕円)」と両端に向かってカーブしながら太くなる「Hyperbolo(双曲線)」はともに、5mから6mにもおよび、細長い流線型のこの作品は、数式を形にしたような理念的なフォルムをしていますが、それは木製で、ラッカー塗装で色が付けられており、ハンドメイドの工芸的な美しさがあります。

 80年代に入り、ゲンツケンは突如として、それまでの作品の持っていた洗練された美しさを捨てます。セメント製の型どりされたラジオには小さな本物のアンテナが付けられています。“World Receiver”(82')と名付けられたこの作品は、それ自体いかなる音も受信することができません。80年代初頭、時代はどこか落ち着いた、純粋なものを求める傾向にありましたが、この時期ゲンツケンは、くだらないものや、ユーモアの持つ力を発見しました。また同時に、聞くという行為の持つ、個人による政治的活動にも注目しています。そしてこの、受信する(または受信できない)ということは、プライベートとパブリック、個人と世界の仲介役としての「耳」(80')の作品と問題意識を共有しています。

「私にとってニューヨークは彫刻とダイレクトに繋がっている。」とゲンツケンが言うように、ニューヨークのエネルギーと熱狂は彼女にとって、創作の源となっていきます。98年、ゲンツケンは「柱」のシリーズをスタートします。それらはニューヨークの摩天楼の明滅するライトや反射する窓を連想させ、鏡、ホログラムのシート、工業用テープ、金や銀のパネル、パンチパネル、ベニヤ、アルミニウム、ガラス、ラッカースプレイなどから作られており、非常にカラフルで、多幸感に包まれています。さらに、3メートル程の高さを持つその柱のひとつひとつには「ウォルフガング」、「ダニエル」、「カイ」、「アンディー」などの、彼女の友人達の名前や、影響を受けた作家の名前が付けられています。このことは、彼女が友人たちに抱く感情と似たような感情を彫刻でもあり、建築物でもある、これらの作品に抱いているということを示しています。

 ゲンツケンは、その様々な作品スタイルにも関わらず、今回の作品同様、最初期から一貫して展示空間と作品との関係、さらに鑑賞者を非常に意識したインスタレーションを行ってきました。“World Receiver”シリーズは常にまとめて展示され、そうすることにより、コンクリートのラジオは屋上にアンテナのついた集合住宅のようにも見えてきます。また、「柱」のシリーズもひとつの部屋にまとめて展示されることが多く、摩天楼を思わせます。さらに「屋根」、「アトリエ」、「ドア」、「パッサージュ」など、建物の部分をタイトルに持つ、スチールの台座に乗せられたコンクリート・ブロックの作品は集められ、タイトルと平行して作りかけの建築物自体、または建築物の模型を想起させます。

 さらに彼女は常に何が同時代的かを考え続けてきたといえます。それは素材の選択に顕著に表れています。最初期の“Ellipsoid”や“Hyperbolo”は、曲げられた木、そして“World Receiver”はコンクリートでできており、これらはともに当時、現代的な素材と見なされていました。またその素材が、「柱」のシリーズにおける鏡、ホログラムのシート、工業用テープ、パンチパネル、ベニヤ、アルミニウム、ガラス、ラッカースプレイの使用へと変化し、さらに現在では、安価な工業製品、例えば、プラスチックの人形や、アイロン台、キャンピングチェア、ぬいぐるみ、傘、建築資材やホームセンターで売られているような品々などが用いられるようになります。これらも、彼女にとっては同時代性を示す重要な素材なのです。

 今回、ラットホールギャラリーで展示される作品は、2007年、第52回ベネチアビエンナーレのドイツ館で発表された「Oil」シリーズの中から、宇宙飛行士のマネキン2体とアルミのパネル32枚からなるインスタレーションです。

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